Tkiyono

Tukiyono

震災に引きこもりにボランティアに

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ぼくの話

中学が人生のピークで男子女子からも人気がありました。

 

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高校で女子からいじめに遭います。

「キモい」やら「死ね」

など言われ

音楽の授業などで男女混合すると面と向かって小声で言われました。

 

男子ならやり返しようがあったのでしょうが、女子にはやり返せません。

次第に男子からもイジメに遭うようになり靴を隠されたり、物を盗まれたり暴力を振るわれたりします。

 

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プライベートでも本屋でわざわざぼくに近づいてきて

「キモいじゃん」

と女性に言われ立ち去られます。

ああ・・ぼくって「本当にキモいんだ」

学校だけならただのイジメですが、外で言われたことで

それが、決定づけられた気になりました。

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電気コードで首を締めますが泣いてしまって力が入らずできませんでした。

 

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不登校になり、引きこもります。

僕の高校生活は半年でした。

人の話し声がすべてキモいに聞こえました。

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人間不審、重度の女性恐怖症になり、それから1年をずーっと寝て過ごしました。

夢の世界だけが救いでした。

 

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引きこもり生活も1年経ち外にすら出れなくなります。

母が誕生日(母の誕生日)だから一緒に映画を見に行きたいと言います。

僕と一緒に映画に行くことが母の誕生日プレゼントだと。

(母子家庭です)

 

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僕にとってはハードルが高かったですが姉も来てくれることになり、夜の映画館にニット帽にマスクをして、数年ぶりに外に出ました。

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心臓がバクバクですっと下を見ていました。

人の視線が恐怖でした。

 

映画を見ている暗闇の中、母は泣いていたように思います。

 

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映画館がきっかけで少しづつですが外に出れるようになり、通信制の学校に行けるまでになります。

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通信はレポートの提出をすればいいのですが週に何回か学校で授業があり、老若男女たくさんの人が集まるので常に緊張していました。

けどみんな様々な境遇で学校に通っていたので幸いイジメにあうことはありませんでした。

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小学生のころ、夏休みの宿題を最後までやらなかったような人間にとって自学自習の通信制の学校はハードルが高く、3年のところ5年も卒業に掛かってしまいました。

それでも入学してもドロップアウトが多い通信制で高校を卒業できたことは

僕の誇りになりました。

 

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高校を卒業したのが21歳でした。

卒業できたとしても通信で人との関わりを極力していないため、人間恐怖症は治っていませんでした。

卒業したことで母がどんどん自分に求めるものが多くなっていき胸が苦しくなりました。

 

そんな折、東日本大震災が起きます。

 

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母には悪いですが自分の命などどうでも良かった僕はボランティアに行くことにしました。

 

高濃度の放射能が漏れているとマスコミが連日報道し、余震の続く中、被災地の状態もわからない。死ぬかもしれない。

 

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自分の命で誰か救えるならそれで生きていた意味もあるだろう

 

と言いつつ僕は死に場所を探していたのかもしれない。

 

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3月11日の翌月には現地入りし、ボランティア団体に入り(僕が最年少でした)、被災地から離れた場所でテント村を拠点に瓦礫撤去の日々を送ります。

濡れたタンスや畳など、崩壊した家屋木材や瓦などをダンプカーに運ぶ作業です。

引きこもりにはキツくてすぐに腰をやりますが、そんなことを言っていられる状況じゃないし、体の悲鳴を無視しました。 

 

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人生何万回分やっても吸わないだろうカビの胞子グラスウールを吸いました。

冠水して汚水で全く地面がみえないところで穴に落ち死にかけました。

魚の加工場が近かったため、腐敗した海産物が鼻につくようなアンモニアの悪臭を放ち、蛆虫に似てるけどどこか違う、見たこともないような生物が湧いていました。

テントでは台風でテント内が浸水し、寝袋もグチャグチャで眠れず、公園のトイレの個室で洋式便器の蓋に覆いかぶさり一人で寝ました。

 

自分のことなんかどうでもいい。本当に死ぬ気でというより、死んだつもりでガムシャラにやりました。

 

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そうして気づいたら被災地で5年もボランティアをしていました。

得たものはあったのか? ボランティア仲間はできました。

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でもそれ以上に、心を壊しました

震災から3年も経つと被災者の方の心のケアがメインになるのですが、家族や恋人、大切な人をなくした人たちは自殺してしまう人も沢山いました

そういった人たちを間近で見てきて、ふとした瞬間にズキッと胸に衝撃が走ります。

 

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僕の体はストレスに耐えきれず狭心症になってしまいました。

体が震えるほど寒がっているのに汗がブワッと吹き出たり、ときには心臓の痛みで身動きができなくなりました。

また日常生活でも些細なことで、心臓が痛みます。

自分では何とも思っていないことでも体がこれはストレスだ!と訴えかけてくるので僕のボランティア生活は幕を閉じました。

 

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この五年間は楽しいことなど全くなく、辛く苦しいだけでした。

その時の僕の口癖は「この人(被災した男性の方 子供2人亡くしている)の役に立たないなんて許さない」でした。

 

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今にして思えば自分の気持ちにずっとウソを付いてやってきたので、バチがあたったんでしょう。

 

自分の人生を歩みたい。誰かの人生でなく、誰かのための人生でもなく。

 

僕は地元に帰ることにしました。

 

帰りのバスでなぜか涙が出でたくさん泣きました。嬉しいとか楽しいではなくただただ悲しいだけでした。

 

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帰っても狭心症は治らず、社会復帰できないまま更に2年経ちました。

人生の大切な時期である21~26歳の5年間をボランティアに使い

気づいたら28歳・・もう30も手前です。

人間恐怖は克服したけどまだ女性が怖い。

恋愛を知らずここまできてしまいました。

 

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被災地にいた時は自分の人生がどうでもよくなるくらいに地獄のような世界があって気づきもしなかった。

いざ、現実に引き戻され30も間近で後悔しそうになる。でもそれは被災者の方たちに申し訳ない。

 

人の生き死を見てきて、死ぬことは考えなくはなったけど、ふとした瞬間にそれがくる。

感誰かのためと、自分を犠牲に人の人生を歩んできて、感謝もされず、理解もされない。

青春も恋愛も達成感もない。

自分の人生ってほんとうにつまらないなあ…と。

 

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つまらないなりに、色々と思うことができたので、いつ死んでもいいように書いていこうと思います。